小説 多田先生反省記
12.大野の挑戦
博多に帰り着けばいつまでも泡沫(うたかた)の想いに浸っているわけにもいかない。早々に授業の開始だ。だが、今にも消え入りそうなふわふわとした心柄をドイツ語の授業に向けて切り替えるのは至難の業にも思える。どうしても康子と過ごした僅かばかりの時とその情景が沸沸と浮かんでくるのは如何ともし難い。窓越に聞こえる雨垂れの音さえ楽しくも物憂い音を奏でているような心持にさせる。
厳(いか)めしい顔つきで授業を始めてはみたものの、ついつい遠い北の空へと心を馳せてしまう。肝心要のドイツ語の話よりも雑談の方が長引くのは致し方ない。然り気無く仙台で観た『卒業』を話題にして、叶わぬ恋を巡る男と女の心の揺らぎと葛藤を論じる一方で、私なりに康子への想いにどっぷりと浸かっていた。初日の授業が終えたその日の夕方には例によって大野が研究室に顔を出した。
「先生、お見合いはどうでしたか?」
「俺、結婚するよ」何気ない風を装ってそう云ってのけた。
「えっ?ご結婚なさることにしたんですか?今度お見合いなされたあの女の人と?」
「他に誰がいるんだよ」
「驚いたな…。だって、先生、断ってくるって仰ってたじゃないですか。また、どうしてですな?」
「どうしても、こうしてもないよ。なんだか愛しくってさ」
「そげなもんですかね?一回おうただけで…」
「ほら…。二人して映画を観たわけ。俺は任侠もん、彼女は洋画ってなってさ。そんなら、コイン博打でどっちか決めようってなって、『卒業』を観たわけ」
「なんだ、先生!さっきの授業中のあの話、誰かと映画を観はることになって、お金を投げて、その表と裏で決めはったいうのは、お見合いの一コマだったんですかいな。なんか変だなとは思いよりました」
「今度ね、ポール・サイモンとかいう人のレコードプレゼントしてくれるんだって」
「先生、えらい二ヤケてますよ!」授業中も同じような顔をしていたかも知れない。「そうですか、それにしても早い決断ですね。すごいや、すごい!」
「呑みに行こう!」
「はい、お伴しますです」
いつもの如く私たちは暮れなずむ頃合いを待ち侘びて、弾みがついたような足取りで馴染みのスナックに出かけた。
「どんな方でしたか?」
「実に奥床しくてさ…」
「写真では活発そうにお見受けしましたけどね」
「そんな感じじゃなかったね。どこまでも出しゃばるところがなくて、奥床しいんだな、今、云った通り。そして…素直なんだな、そこが愛しいわけ」
「先生、涎が垂れようですよ」
「いや、これはウイスキー」私は慌てて口元を拭ってそう云った。日頃から独り身の私を何かと気遣って、時には晩飯などを造って食べさせてくれている年増のママさんも若い別嬪の素人染みたホステスもまだ店には出ていない。アルバイトのバーテンダーは聞こえてはいないような素振りでカウンターの端っこの方に突っ立っている。
「仙台でお見合いしてさ、映画を観たわけ…」
「卒業の映画でしょう。さっきも云わはりましたで」
「そうか…。そうだったね。そいでな、うっひひ。まあ、聞けよ!」
「聞いてます!」
「俺が博多に来る日にさ、東京まで来てくれたんだよ、これが」
「へえ、二回も会わはれたんですか?」
「いや、都合三回会った」
「随分とんとん拍子ですね。それにしても何なんでしょうかね」大野は話の展開がどうにも掴めないでいる。
「何てこたぁねえよ。お互いにびびっときたんだ。康子っていうんだけどさ、康子は見合いをした晩は眠れなかったんだって、うっひひ」どこまでもだらし無い。
「そんなもんですかいね」大野は何とも腑に落ちないといった趣のようである。
「そんなもんよ、男と女の出会いなんて。俺、博多に帰ってきてすぐに手紙書こうと思っていたんだけどさ、まだ書いてないんだ。近いうちに書くよ」
「はあ…」面白くもない話のようで、大野はいささか呆れ顔になってきた。
「寂しくてさ。何でこんな遠くまで来ちまったのかって思うよ、つくづく。博多に来なけりゃこんな侘しい思いをしなくて済んだのにさ」
「先生、それって逆さまちゃいますか?」
「そうかいな?そうかも知れない。兎にも角にも、もうすぐ学期末試験やら、入学試験だろ。暫くは忙しくて会いに行けないから一度、博多まで来て下さいって云ってやろうかと思ってるんだ」
「うわっ!もうそげんところまで行きんしゃぁとですか」
「手紙の最後にさ、再び会えるという希望が二人の別れを心安らかにしてくれるって書こうと思ってるんだ」
「えらい気障やけど、どこかで聞いた文句ですね…」大野はその記憶の糸を辿っていた。「そうだ!」
「わっ、吃驚した!そげん大きな声ださんでもよかろうが」
「スミマセン。でも、それって今日のドイツ語の例文で先生が黒板に書きはった文句でんがな」
そのうちにママさんと美人のホステスも現れたので、康子との話はいつしか打切りとなった。取り留めない数多の話に花を咲かせては、それでも話の節々に浮かんでくる康子の面影に酔いしれて、私はバーテンダーにはウイスキーそして美人のホステスには好みの日本酒を大らかに振る舞った。勘定をする段になって手持ちのお金では足りなくなったので、その晩は附けにした。話に夢中になってお粗末なつまみでハイボールをがぶがぶ飲んだ所為か、スナックを出た頃は流石(さすが)に腹が空いていた。
「ラーメン、食いに行こ!ラーメン!」
「先生、博多のラーメンって嫌いでしょうもん」
「いや、今日は博多ラーメンが食いたい。ラーメンにしよう」
「僕、今夜はえらい酔いました。あのママさんがものすごう綺麗に見えたとです」
「そう?あのママが?そりゃ、いけないね。あのママが美人に見えるなんて、ほんとに酔っ払ってる証拠だよ!こりゃ大変だ」
「そげんあるでしょ。いや、ホンマ酔いました」
「大丈夫か?ゲロすんなよ!いいよ、いいよ。ラーメン食いながらビールで少し酔いを覚まそ」
「いやぁ、ヨカですね。僕、先生のそんなとこ好いとります」
「気持ち悪いこと云うな。でもね、嫌いだ、嫌だって思い続けていたって、突如としてさ、好きになるってことはあらぁな。男なんてもんは、ここぞっていう時には腹を括んなくちゃなんねぇのさ」
「なるほど、そげんですね。よう肝に銘じます」
酔っているのでお互い適当に合点した。私たちはラーメン屋でビールを呑みながら替玉も頼んで、スープも綺麗さっぱり平らげてふらふらと帰って行った。
私立の城南学院大学は2月には入学試験を控えているので、冬休みが終われば何回かの授業を済ませたら直ぐさま後期の期末試験となる。殆ど研究室で仕事をすることのない私は下宿の部屋のドアの入り口に「試験終了まで面会謝絶」の張り紙をぶら下げた。これで大野も神埼も私の部屋に入り浸ることはできない。廊下越しに私のオナラを聞いた神崎がニヤニヤしながら私の部屋に入ってくることはなくなり、そのたびに「エヘン、エヘン!」と大仰な咳払いをしているだけとなった。
その晩、試験問題に取り掛かかってやや暫くしたら玄関脇の部屋にある電話の呼び出し音が聞こえてきた。いつものことながら玄関の突き当たりの居間でガラス戸を閉め切ってテレビを見ている小母さんたちには聞こえにくいようである。普段は気に留めたこともなかったが、その時ばかりは気掛かりで、下りて行って「電話が鳴ってますよ〜」と声をかけて改めて机に向かった。小母さんが玄関に向かっていく足音が聞こえる。程なく「先生、電話のかかってきよりま〜す!」と声が掛かった。父親からの電話とばかり思い込んでいたので、電話口から聞こえた康子の声に私は飛び上がらんばかりに驚いた。東京駅では両親に上野駅まで康子を送るよう頼んでいたのだが、その晩、康子は大船にいる姉の家に行くことになっていて、ホームを替えるだけで親たちの見送りは済んだようだった。私はつい数日前に手紙を投函したというようなことなどを口にした。康子も手紙を書くつもりでいたけれど、それなら私の手紙が届くのを待つことにして、絵葉書を寄越すと言っている。苦心讃嘆して何枚もの便箋に想いの丈を綴った私は妙にがっかりした心持で電話を切った。
康子の声の余韻が消えてしまいそうなくらい日にちが過ぎてから、階段の上り口の普段は食事のお盆を置く台に手紙があった。私宛の速達だった。差出人は康子だ。先の電話では絵葉書を寄越すと云っていたので、絵葉書一枚かと気が抜けていたのだが、開けてみると11枚の絵葉書に文字がびっしりと詰まっていた。私はどっかりと椅子に腰を下ろして読み始めた。便りを書いたその日は10時まで寝坊をしてしまって母親から叱られたことなど、自らを責めさいなむことがあれこれ書き添えてあったが、4枚目のはがきには「朝きちんと起きられるようにならなくてはお嫁に行くことはできませんね」と書いてある。出し抜けに下から小母さんが「先生、なんかありよったとですか?」と大きな声で聞いてきた。私は畳にひっくり返って大喜びしていたのである。そのまま横になって読んだ5枚目の文面は霞んできた。7枚目に至って嬉しさのあまり既(すんで)の事に塩釜の奈美がしたように畳を叩きそうになった。「近いうちに博多までくる」と知らせてあったのだ。「ただし、猫のお産が済んでから」とあった。そんな邪魔くさい猫なんぞ絞め殺しちまえ、と言って遣るわけにはいかない。最後の11枚目は追伸とあり、「この切手は私からのささやかなプレゼントデス。お好きなように使ってください」と書かれていた。ここまで読み終わって改めてすべてのハガキをみると、それぞれに80円切手がヘラへラとくっついていた。普通郵便では博多から仙台まで4日も要するので毎回速達で寄越せという心憎いほどの演出だった。
私はふわふわとした心持で一年間の授業を締め括った。やがてドイツ語の試験日となった。仕上がった試験問題は何度見返してみても上出来に思えた。商学部と法学部ではそれぞれ別々の教科書を使っていたので試験問題も異なる。後期は教室の空き具合と日程の都合もあって双方の学部の試験は二クラスまとめて大きな講義室で行われることになった。学生は二手に分かれて神妙な顔つきで試験問題が配られるのを待っている。開始の時間に急かされながら私は二通りの試験問題を学部ごとに配布した。始業のベルとともに折に触れて顔を持ち上げては、神妙ながらも、なぜか奇妙に考え込む学生たちを睨みつけるようにしながら康子から届いた絵葉書の文面を思い浮かべていた。終了の時刻になって学生たちは口々に「えらい難しかったぁ!」と憤懣やる方ないといった面持ちで不平を云いながら出て行った。研究室に戻ってぱらぱらと幾枚かの解答を見るに、どの学生も前期に比べるとかなり出来が悪いようだった。後期ともなれば前期のような簡単な動詞の人称変化や名詞の格変化の問題ばかりではない。慣用表現の前置詞を埋める問題もあれば、現在形の文を完了形に替えさせたり、ゲーテの詩の一節を和訳しなくてはならない問題もある。そう手軽には答えられないように作ってあるのでそうした結果になったのだろうと思う。バラバラになっていた答案を出席番号順に並べ替えた。大野の答案がない。下宿では面会謝絶としてあったので、同じ屋根の下にいる神崎さえ私の部屋で共に食事をしない日々が続いていたのだが、思うにこのところ大野は授業に出てきていないし、研究室にも現れていない。学期末の試験問題に全神経を継ぎ込んでいたためではなく、康子の面影が私の頭の中を駆け巡っていて、とんと大野の無沙汰に気が回らずにいたのだ。とりあえず採点をしてみた。概ね前期の平均点を下回っている。かなりの学生が不合格だった。その中にはあの大籠と奥稲荷もいた。下宿を共にしているので殊更ドイツ語の勉強には熱を入れていたように思える神崎も合格すれすれの出来だった。下宿に帰って「面会謝絶」の紙を取り外した。
「先生、クラスの試験問題ば間違えて配りよりましたでしょう!」下宿に戻って来た神崎が曰くありげな顔つきでそう云った。
「何だって?」
神崎は滔々と話し始めた。授業では「この辺りは大切だよ」と繰り返し聞かされていたので必死になって教科書に取り組んでいたというのに、試験問題はすべからく応用形式だったことから、不審に思った神崎は商学部の学生からそのクラスの教科書を見せて貰ったようだ。詳らかにページをくくってみたところ、商学部の教科書にあるドイツ語の文型などが神崎ら法学部の試験問題に使われていたことが判明して、配布の手違いに思いが至ったようだ。神崎の話を聞くうちに、必ずしも学生の出来が悪いのではないことが私にも明らかになった。しかしながら問題を配り間違えたなどとあっさり認める訳にはいかない。
「いや、試験の直前になってね、問題があんまり簡単すぎる気がしたから、ここは応用問題にしようかと、咄嗟の判断で入れ替えただけ」
「いっ?」
「その割にはみんなよく出来ていた。感心、感心!偉いもんだ」成績評価にあたってはいわゆる下駄を履かせて点数の上乗せをしなくてはならないようだ。「ところで、試験場では学生が沢山いて気が付かなかったけど、大野は欠席したね」
「もう、随分と前から来とりませんよ。他の授業も」
私は大野に電話をかけた。
「このところ、授業も出てなかったし、試験も休んだりして。どうしたんだ?」
「先生、実は…。僕、大学やめようと思いよります。一度、下宿にお尋ねしたんですけど、面会謝絶の札がかかっとりましたので、何も申し上げませんで帰って来たんです。とりあえず今また受験勉強しよるとです。やっぱり、男はどこかで決断せんといかんですもんね」
大野は改めて九州大学を目指すことにしたのだった。ここから大野の新たなる挑戦が始まる。
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